もにかといっしょ!

SnowManがだいすきな阿部担が気持ちを書くだけです✌️

SnowManが死にたい私を救った話

 

ずっとずっとずっと死にたくて、もう自らの手で終わらせようと思っていた私をSnowManが救い出したっていう話。

 

SnowManに一言でも伝えられる夢のようなタイミングがきたら私が伝えたいこと。

わたしの命はSnowManに出会ったから存在する。

 

※デビュー後の新規です

精神疾患の症状について直接的な表現があるかもしれません

 

たくさんの人に知って欲しいお話だけど、自衛してください。

 

はじめまして。もにかです。

SnowMan 阿部亮平くん担当の24歳です。

溢れ出す気持ちを文にしてみたくて書いています。

きっとこれから書く文章は下手くそだと思う。

でも、もしも、お時間があれば読んでください。

 

 

SnowManを初めて知ったのはTikTok

2020年6月頃。

紹介ラップの映像だったかな〜

「しょっぴー!」というワードが気になってYouTubeで検索。

そこからズブズブはまっていったっていう流れ。

 

当時のわたしは毎日、毎日死にたかった。

なにがあったわけじゃない。

不動産営業をしてた私は数ヶ月前からじわじわ精神のバランスを崩して泣いたり怒ったり後悔したり。

 

ちょうど、緊急事態宣言が出て会社には1日おきの出勤になった。頻繁に挟む休みと、出勤数の激減による1日あたりの仕事量の激増でみるみるうちに心を患った。

 

5月ごろにはすっかり泣くことも出来なくなって、寝付くことも起きることも難しくなった。

一度ドアが閉まると、自分のタイミングで降りることの出来ない電車に恐怖を感じて電車にも乗れなくなった。集中力が無くなって10分の動画も最後まで見られなくなった。

過食と絶食をくりかえして大量のお酒で時間を無理やり進めることしか出来なくなっていた。

 

 

本当はどうしようもなく追い詰められていた。

 

 

「お前は駄目な人間だ」と会社で言われている

「失敗作だ」と親に思われてる

 

言われてもないのに勝手にそんなふうに思ったり

出来なかったこと、失敗した事を何度も何度も思い出した。

 

実際に会社の上司に

「お前を鬱にしてやりたい」「お前は全然鬱にならねえな」と笑いながら言われたりもされてた。

ヘラヘラ笑って「ひどーい!」ってかわしてたけど本当は傷ついた。

 

本当はものすごく傷つきやすくて脆いのに

明るくて ポジティブで 天真爛漫な自分を

1人でいる時間以外の全ての時間で演じていた。

(それは今も変わらないけど)

 

「どうしてみんな普通に生きられるのに、私には出来ないんだろう。みんなは普通に生きるマニュアルをきっと持ってるのに何故わたしにはそれが持てないのだろう。もしかして人生が一回目なのは私だけなのか」と

 

「生きるのはこんなにもしんどいのに

頑張ったり耐えたりする事でどんな喜びがあるんだろう。それをわたしはいつ実感する事があるんだろう。」と

 

朝からお仕事をして帰ってきては真っ暗な一人暮らしの6畳の1Kでぼーっと座って死にたいと思ってた。

 

その時にはもう「死にたい」という感情に支配されていた。

それでも毎日職場まで歩いて普通の顔をして仕事をした。

 

毎日毎日どんどん死にたくなる。

 

電車に乗れなくなる。呼吸が浅くなる。

泣けない。寝れない。起きれない。

集中できない。感情がなくなっていく。

 

ふとした瞬間に、踏切の前で、橋の上で、自宅で、今行ってしまえば、この苦しみは終わるのに、と死にたい気持ちを強めていった。

 

寝付けない夜中に死にたい気持ちは増えていく。

具体的な自分の手で人生を終える方法を考える時間はたくさんあった。

 

いろんな考え方があると思うけど、わたしは自分の手で人生を終えた方々の気持ちがよく分かる。

終えてしまいたい気持ちの波が高くなったときにフワっと実行してしまえる気持ちがよく分かる。

 

そんな瞬間が私にも毎晩あった。

 

本当に本気でもう死のうと思ってた。

先に思い残すことが何もなかった。

 

そんな寝られない夜中にふと開いたTikTok

彼らSnowManが居た。

 

「こういうのが流行ってるんだ〜」と思った。

初めて見たのはYouTubeの紹介ラップで、

関連動画から、YouTubeを漁っていった。

 

とにかく夜中に時間があったので

いままで悶々と死にたい感情を高めた時間は

SnowManについて調べる時間に変わった。

 

今までのSnowManについて調べたり

YouTubeを見たりして寝られない夜を過ごした。

 

とても興味を持った。

その時、誰が好きとかではなくてグループとして素敵だなと思った。ずっと見ていられるなと思った。

 

私のもうダメになった心に渡辺翔太の笑い声が染みたなあ。

翔太が笑ってるだけの動画を何度も何度も見た。とにかくこころが軽くなった。

 

そこからは早かった。

1週間もかからずYouTubeの過去動画は全て見た。

9人の個性やキャラクターを知ってだいすきになった。

気づけばD.D.を口ずさみながら帰宅する自分が居た。たぶんご機嫌だった。

死にたい自分はまだ居たけど、自殺を考えた橋をSnowManの曲を口ずさみながら歩いた。

 

6月の中旬にはジャニーズweb、FC、paraviに登録してSnowManを追っていた。

この頃には阿部くんが1番好きだと自覚してた。

 

人を応援する。という事が出来る様になった。

自分は死にたいくせに、SnowManが全員幸せで居られるように本気で願うほど陶酔していた。

 

キテルネ!に阿部くんが出るから!!と早寝や早起きが出来る日もあった。

すのちゅーぶやFC動画が長くても見られるようになった。

7月に岩本さんが再出発した時に涙が出た。

(めちゃくちゃの新規からしても嬉しかった)

泣くことも出来るようになった。

 

9人からもらったエネルギーは底なしだった。

 

私にたくさんの失った感情を与えてくれた。

ちょっと炎上した時にメンバーを思うと怒れたりもした。

 

そして阿部くんのカメラアピールには何度も心を撃ち抜かれた。

好きという気持ちを思い出す事が出来た。

 

7月の目黒さんのブログでの本当にやりたくないことはやらなくていい。どうか、生きていて。という言葉に大泣きしたこともあった。

生きなくては と思った。

 

私の死にたい気持ちはどんどん少なくなった。しまいには死んでいる場合では無くなった。

 

2ndシングルの発売を発表した時だった。

7月に10月のシングルを予約した。

 

少し前のわたしからしたら考えられない事だった。だって3ヶ月後に生きているかどうかなんて分からなかったから。

 

でもシングル発売を告知したハーフアニバーサリーのYouTubeを見た時のわたしは違った。

10月まで生きなきゃ!

キッシンを手にするまでは死ねん。と思った。

 

そして毎週更新される、すのちゅーぶやラジオ、それスノや出演番組の全てを楽しみにしていた。

 

毎晩、今日こそ死にたいと思っていたのに死ねなくなった。だってMステ見たいし。それスノの続き気になるし。てかブログ更新されるし。

毎日毎日生き続ける理由があった。

 

先に思い残すことが何もなかった私に

先に楽しみをくれた。

 

死にたい気持ちは、日に日に薄くなって行った。

 

それだけじゃない。

精神を立て直す方法について考えられるようになった。

休みの日にも午前中には行動して日を浴びるようになった。部屋の換気をするようになった。

朝ごはんを食べるようになった。

 

わたしの人生もわたしがしっかり幸せにしてあげないと、と思えるようになった。

心に余裕をくれたのもSnowManだった。

 

SnowManと幸せになるためには、自分も幸せでいる必要があった。

 

死にたい気持ちは薄れていって、わたしの精神疾患(病名は伏せますね)の症状も日に日に良くなって行った。ジャニーズはお薬なのかと思った。

 

SnowManとすごした2020年後半はあっという間に時が過ぎて行った。

いまでは、部屋は阿部くんやSnowManのグッズが所狭しと飾られている。

 

きっと彼らといればわたしは生きていける。

彼らだけでないことにも目を向けられるようになった。

死の呪縛からわたしはSnowManのおかげで解放された。

耐え難い苦しみからわたしをすくいあげてくれた。

 

それでも12月頃、突如死にたい感情に襲われた。

これでは繰り返しだと思った。

 

仕事を辞めた。

 

生き続けるにはこの方法しかないと思った。

現在、無職。それでもいい。何とか出来ると思った。捨て身の退職。人生はギャンブル。

すでに死の呪縛から解放されてるわたしは強い。

 

わたしは生き続ける。

 

宮舘涼太さんがベストジーニストになって時代劇をやるまでは死にたくないから。

向井康二さんがゴチのメンバーになるまで死にたくないから。

渡辺翔太さんの笑い声と歌声をまだ聞いていたいから。

深澤辰哉さんのアイドル姿にまだまだときめいて結婚したいと騒ぎたいから。

ラウールさんの20歳以降の成長も見守りたいから。

目黒蓮さんの主演ドラマをまだ見てないから。

岩本照さんが表題曲で振り付けをするのを楽しみにしているから。

佐久間大介さんの美しいダンスと表情をもっと見ていたいから。

阿部亮平さんの手をこの先も離したくないから。

 

まだSnowManと一緒に生きる。

その力をSnowManはわたしにくれた。

 

 

SnowManデビュー1周年おめでとう。

 

SnowManと出会って、わたしは生きる道を選ぶことができました。

伝えることは出来ないけど ありがとう。 

 

おかげさまで私の命はなにより美しいと思えるのです。死にたい夜を何度も何度も、何度も9人と一緒に乗り越えて翌朝を迎えた美しい命だと思えるのです。

 

9人で居てくれること以外わたしが求めるものは無いけれど、どうか幸せで居てね。どうかどうか幸せで居てください。

 

きっとこれからもたまに死にたいと思ってしまうこともあると思う。

 

でも、わたしは死なないんです。

だって〜来週のすのちゅーぶに思いを残したまま死ねないも〜ん!!!!!

 

 

2021年1月22日 もにかでした!

 

 

もしも読んでくださった方がいらっしゃったら

ありがとうございました!!